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おっぱいは果てしない。

限りないおっぱい。
そんな話をしてみよう。
もうちょっとしたら。

もうちょっと、が経った。

星野源の「蘇る変態」の中に、
もんのすごい疲れた時に「おっぱい揉みたい」と言葉にすると、心なしか疲れがやわらぐ。
そんなことが書かれていた。

とてもいいことだと思います。
どストレートな性的な意味ではなく、なんだか、人間の、男の原点に帰る気がしてならない。
疲れている時は、大抵、何かに打ち込んでいる時で、
そもそも、その打ち込みが何なのか、どこに向かっているのか、わからなくなりかけている時。

「おっぱい揉みたい」

ん〜、いいね。ところがどっこい。
おっぱい、揉めたとしましょう。もみもみ。
……もみもみ……。

たしかに、おっぱいを揉む、という行為はとてもエロティックでたまらない。
しかしだ。おっぱいを揉んでいる、だけでは、エクスタシーに辿りつかない。
つまり、おっぱいをいくら揉んでも、ゴールにはならない。
マラソンに例え、エクスタシーをゴールとするなら、おっぱいを揉む行為は、給水ポイントのようなものだろうか。
もっとがんばろう、って。走りきろう、って。

視覚的に街中でおっぱいを見ると、
さわりてぇ〜! もみてぇ〜! となるかもしれない。で、仮に
「ちょっと、その素敵なおっぱい、私に揉ませてくれませんか?」
「え? これですか? いいですよ(ニッコリ)」
と、実際に揉ませてくれたとしても、ゴールじゃないから、それはそれで不完全燃焼。(そうでもないか?)

だからといって、ラストまでいきたいかって言われると、別問題だ。
というか、時間をかけずにおっぱいを揉ませていただき、ラストまで果てさせていただくようなお相手は、
“とてつもなく面倒くさい別問題” が待ち構えているにちがいない。

そうなってくると、おっぱいは揉みたい、
んだけど、実際には、揉めない方がいい、じゃないかって。
芥川龍之介の芋粥
伝えたいこととしては、これに近い。

性的な意味での叶えたいことは、あくまでも望み。
実際にそれを叶えることをゴールにするのではなく、
もみてぇ〜! というエナジーを、本物のゴールへ向かう給水ポイントとする。

そろそろ察している方も多いかと思うが、そう、私は疲れている。
でも、心地よい疲れだ。
なんだろう、プールでおもいっきり泳いだ後、横になって天上みあげると、グルグル回転しているような感じか。
小学生の頃は、そのまま眠りにつけばOKだが、今はそうもいかない。

果てしないおっぱいを夢みながら、本物の夢を形にするのである。
おっぱい。おっぱい。おっぱい。すぐに辿りつく。

 
 

本日のアトオシとは
「ロゴマークを軸とした展開。」が特長のグラフィックデザイナー永井弘人による、「日常とデザインを拡げる雑文集。」日本タイポグラフィ協会正会員。年鑑ベストワーク賞受賞。著書「デザイナーになる。」(MdN)執筆・出版。
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